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小島誠君を偲ぶ - 福本栄治 -

秋迫り来てしとしとと降る雨の昼下がり、庭を眺めているその時に突然小島君の計報に接した。哀しいかな表現する言葉も出ず唯々茫然とするのみ。
明日とも知れないと私は医者から限度一杯に膨張した動脈瘤で早期手術を要と宣言されていただけに、窓前の樹木に一分の紅に染めはじめたのを眺めながら、鼓動の高まりに自分の命も末期近しとひしひし感じる。
やがて死灰枯木の如く消え去るかと思うと、我が身がさながら暗中広野に彷裡する天涯孤独の存在かと心細く感じてきた。
思えば学生時代の昭和8年京都百万辺の民家で合宿し、朝・夕方と同志社の道場を借りて修業しながら青春を謳歌した君との姿がありありと浮んで来る。清々楚々として邪心なく節度を重んじ生まれながらの天真燗漫、明朗にして闊達な君の存在は合宿中の部員の心をなごませ、晴々としたムードにつつんでくれた。君の剣は小手先には全然こだわらず正面から面を狙って打ち込んでくる姿勢は、君の性格を端的に表現してた姿であった。昭和八年夏、剣道着に防具を付け京大農学部の道場まで畦道を通って桜花燗漫月朧の応援歌を合唱しながら約一ヵ月の練習を全国大会にそなえて稽古に明け暮れたあの君の雄姿がまざまざと目に浮かぶ。年きたり、年往き、人生まれ、人死す。自分は何の望むところあってこの限りなき単調を反復せんとするのか。晩年に到りその感を深く考えて反省しきりである。
自分は昭和9月3月25日に大阪本社に入社し3年後から京都、金沢、福岡、名古屋、東京と転々として地方都市を廻り、約二十二年振りで大阪に帰り君との出会いもままならぬ環境におかれたが、大阪に戻ってから君もゴルフに凝っていた時代で君は適任と思われる市長秘書の職に就いていた時代であった。月2回はPLゴルフクラブで腕を競い、良きライバルであり、OBしても一向に気にせず高笑いですましていた君の姿は正に明朗な性格をそのまま表現していたようであった。
その後、引き続き西成区長、阿倍野区長、市建築局長、市大事務局長、更に監査委員を歴任して退職した筈である。住吉の大地主の家庭に育ち、何不自由のない恵まれた生活環境が、君の曇りのない清流の酒々と岩をかむ水の如く澄みきって人の心に安らぎを与えてくれる品性であった。自ら進んで住吉神社の氏子代表をされていたので、4年前に神社の拝観と歴史の説明を受け、誠に有意義な一日であった。
諺々として君の葬儀に参列し遺影の前で学生時代と少しも変わらぬ若々しい写真を眺あていると、正に今にも働実するばかりの衝動にかられ、我慢に我慢を重ねても流れる涙が頬を流れ落ちるのを止めることができなかった。
野に咲く一輪の百合の花もかくも空しく消え去りしか。人生果たして如何、蝸牛角上の争いに明け暮れた我々と比べ、ソロモンの栄花にも劣らぬ君の生涯もここに終わりを告げた。別れの悲哀はかくもかなしきものなのか。
哀しいかな答えるべき言葉未だ知らず多くを言わぬ。天に在ます君が吾が心中ご照覧あれ、世に最も悲しむべきは真実であり人生の事実なるところと理解する他はなし。
あなかしこ

福本栄治
昭9高
元 大同生命社長

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