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池田一郎氏を偲ぶ -侠気の先輩に救われた二十人- シベリア抑留の話

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語り継ぎたい先輩の侠気 ー偉大な先輩を語る田部芳雄氏の言葉を更に次世代に伝えるー

池田一郎氏
1940年大阪商科大学 (旧制)学部卒業。元大和銀行頭取。
大阪市立大学全学同窓会会長

商大時代相撲部で活躍された池田さんを土俵上で見かけたことはあったが、当方は高商部、氏は学部であったので、特に交際は無かった。それがソ連に敗れ欧露の日本軍の将校収容所で、ばったり会った。昭和23年6月タタール共和国カザン市のラーゲル時代での事件である。

本来労働義務の無い我々に対し、ソ連軍は使えるだけ就労させたい方針を採り、その日は朝から10時間以上使役し、さらに「地下倉庫より4階屋上に重い軍外套を2000着運び上げよ」と命令してきた。

たまたま輪番で責任者であった小生は、全員の疲労振りより見てこれ以上働くのは無理と考え、「もうこれ以上働けん、思い切って監視兵を押し倒し、ラーゲルに引揚げようではないか」と提案。賛成を得たので将に行動に移らんとした瞬間、池田氏は「チョット待て、田部君、折角この3年間恥を忍んで抑留生活に耐えてきたのに、此処で暴発したら元も子も無い。俺は身体だけは丈夫だから、お前の分まで作業を引受けてやるから、お前はその辺でブラブラしておれ。やがて交代要員も来るだろう」と言われた。

この発言で興奮していた20人は冷静に帰り、大事件に発展しなかった。お陰で翌7月の引揚列車に全員が乗りナホトカ経由、無事日本に引揚げることができた次第である。池田先輩の一言-あの飢餓にあえいだ時期に、「お前の分まで俺が引受けてやろう」との発言には感謝し尽くせぬ重味があった。今はこの先輩のご冥福をお祈りするのみである。

田部芳雄氏
大阪商科大学 昭16後 卒業
元伊藤忠商事常務
有恒会報(平成12年12月18日:160号)掲載

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