知性と明るさをもって本来の人間的生活を社会に取り戻させるのが
生活科学部の役目
元大阪市大生活科学部同窓会会長 河 原 碧 子
1953(昭和28)年春、日頃から憧れていた中原淳一の「夢の暮らしのデザイン」に影響をうけていた私が女流建築家になろうと晴れ渡った青空のもと大阪市立大学の校門をくぐったことがまるで昨日のことのように思われます。
入学早々、奈良女子大で開かれた、全国女子学生大会に代表として出席、「女子が大学で学んだ限り、一生仕事を続けるべきである」と発表し、市大新聞にも意見を掲載等、気を吐いていたことも最近の出来事のように感じます。
心に残る思い出は教室においてもクラブ活動においても、数え切れませんが、中でも印象に残るのは杉本町校舎返還の全学一致の運動でしょう。残念ながら在学中に杉本町校舎で勉強することは叶いませんでしたが、白髪橋の校舎でストーブをたき、歌を唱いながらの学習や学食での語らい等、本当に楽しく浮き浮きしたものでした。
今でも、行事や催しを通して母校を訪ねることが出来るのは学校が「青春の育ての親」であったからだと思います。母校に対して関心を持ち母校のために尽くすことは私たちの青春を維持することにつながります。
1986年同窓会長就任以来、生活科学部の存在の重要性と、学問の豊富な内容の実態を如何にPRするかが仕事でした。1990年4月5学科が3学科に再編成になり、急な変化に戸惑いも感じましたが、新しい時代は生活科学部に無理のない、ゆったりとした生活のための学問として、「より深く人間の未来にかかわる役割」を期待してのことだったのでしょう。
平成十一年十月二日(土) 「生活科学部の五十年」に掲載