我が学生生活も、いよいよ終わりを告げる。早いものである。先日、大学の卒業式において、大学総長が述べられた一節に「ゲーテいわく、ラグランジュは、すばらしい学者であると同時に、すばらしい人間であった。我々現代人は、ここにおいて、もはやハードウェアとソフトウェアのみならずヒューマンウェアをも兼ね備えなくてはならない時代に生きている。」というのがあって、非常に深い感銘を受けるに至る。

戦後、日本の高度経済成長期に、我々の両親、祖父母は、その活力を我が国の復興に、(尤も彼等がそれを意識するに至ったかは、定かではないが。)注ぎ込んだ結果として、日本は屈指の経済大国にのし上がり、彼等の一応の物的欲求は、ある程度まで満たされる。飢え、貧困、かつて否応なく味あわされた苦しみを、自らが、さらには子供たちが味わうことのないよう、彼らは努めた。したくとも出来なかった学問をせめて我が子だけには、と苦労して入れた学校も、時が経ち、生活も豊かになり、暗記することのみに終始した結果、学問は衰退し教育そのものの空洞化が顕著なものとなる。 しかし、皮肉にも時代は、汗水流して働いた戦後労働者に、天がようやく与えた褒美のごとく、最も長期にわたる好景気、バブル経済の真っ只中にあり、その恩恵は広く彼等、若者にまで享受され、労せずして彼等は多大な富をうるに至る。

彼等の多くは少なくとも昔に比べ、生まれた時から物質的豊かさを味わうことを許されてきた。自分の未熟さをも顧みず、ひたすら流行様式の一辺倒な生活を追い求め、その結果、自分の確固たるアイデンティティを喪失してしまう。次第に、彼等自身、固有の何かを得ようと、多大な富を投げ打って、有名な画家の絵画を買いあさったり、文明化され、肥大化、核化した現代社会、ある種の村社会的な集団社会を郷愁し、その場を得る手段としてカルチャーセンターに通ったり、精神的な拠り所をも求めるに至り、新興宗教などに没頭する者が後を絶たない。

こうした状況を自分なりで把握、分析しそれにおいてなお、それらを踏まえた上でさらなるヒューマンウェアの分野における充足をはかるならば、おおいに称賛奨励されるべきことであるに違いない。これは社会全体のみならず、個々の分野、例えば芸術、美術さらにはデザインの分野にも言えることであり、最近の高性能な道具にのみ頼りきったり、ある風潮的な様式美にのみこだわるのではなく、広くそのコンセプトを原点に立ち返り、豊かな人間性を確立すべく基礎を十分に踏まえたものを創造していくことが、これから望まれるであろう。それを教授する側においても、こうした状況を十分に理解したうえ、ただ画一的、様式美的作品の指導を行うのみでなく、内面的ヒューマニティの向上を啓発し、自由で斬新な発想をさせうるべく、何らかの方針を付加し、実行されることがおおいに期待される。

今日、次第に人々は、喜怒哀楽を表面に出さなくなり、栄養状態に向上、食物の変化により、背がのび、足がのび、さらに文明社会のストレスや疲弊から髪の毛が薄くなり、やせ細り、何故かしら目までが大きくなって我々日本人は、かつて人々が想像した宇宙人に最も近い人種になってきていると言われる。こうしたことを、幸か不幸か述べることは出来ないが、我々は子供たちに、そういった意味での”人間”であり続けられるよう、今日、この学舎を巣立つにあたり、ここでもう一度よく考えてみたいと思うのである。二年間にわたる御指導を賜り、独り立ちするにあたり、今までの数々の厚遇をかたじけなくし、感謝申し上げます。

グラフィックデザイン 立松 克一