ホーキンス博士の予言「人間の変身」
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ホーキンス博士の予言「人間の変身」

ホーキンス博士の予言「人間の変身」

1998年 平成十年 講話 河原 碧子

今日、皆さんをお迎えして今後デザインはどのように「社会の中で活用していけばよいのか」という事についてお話してみたいと思います。21世紀を目前の1998年の春真只中、野山の柳や桜は幾世紀も変らないのに、地球の状況は目まぐるしく変り、私たち人間にはとてもついて行き難くなっているのが現実です。次から次へと提供されてくる情報をどの様に整理するべきかを一つ一つ心に留めて頂きたいと思います。
1998年3月7日クリントン大統領がホワイトハウスに世界的車椅子の物理学者イギリスのホーキンス博士を招きました。その講演の中で博士は、これから「1000年」の間に 人類は遺伝子工学を使って、どんどん変身していくだろうと云っています。コンピューターは より優れたコンピューターを作り出し、人間の改造はもとより地球上の生物の形態をも変えてしまうだろうという事を予言しています。人間は変わってしまい何も生み出さない人間はただのロボットになってしまうというのです。そこで私たちはホーキンス博士の「人間が人間でなくなってしまう」という予言に対して恐怖と不安に苛まれた人生を終るという事からは是非とも逃れたいと思います。

「封印の書」といわれているダニエル書によって解かれている聖書の暗号には、コンピューターの出現によって2000~2006年の間に世界戦争が起こるだろうとあり万有引力を発見した天才ニュートンも50年かけて
解読した聖書の中で2060年に人類は滅びるとニュートンの極秘文書の中で言っています。それが本当かどうかは判りませんが、世界の状勢を見ていると何が起こっても不思議ではありません。この様に心乱れる時一体「人類は何を貴重なものとして伝えられる」と思えますか?それはきっと形のあるものではないと思います。
誰も犯すことの出来ない「人間の心」そのものを維持する事だろうと思います。その「心」によって作り出されたものを、「手に入れることの出来ない宝石」の様にしっかり残そうという「願望と決心」を維持しつづけながら「21世紀を生きようとする人間」がいたとしたら、それこそが正解でしょう。とりあえずは目前の生き甲斐としての喜びを何か手に入れることだと思います。皆さんの場合はデザインを自分のものにして創り出す楽しさを学んだり体験したりして、それを仕事に生かしたいと思っているでしょうから、幸せな「目標のある人達」だと思います。色々考えると人間というものは一陣の風で吹っ飛んでしまう木の葉のようなものでもあります。

情報のおかげで人の一生を見通してしまえる時代に生きている皆さんは人生が夢の様なものだという事も知ってしまったのですから、生きている間くらいは威勢よく楽しく笑って暮らせたらいいのではと思っています。
人間は100才まで生きても、200才まで生きても自然に淘汰されていくものです。時が来たら潔く消えていかなければいけないけれど、木の葉に例えて見てもそれで焚火をすれば、暖もとれて、又食べる物を作り出したりする楽しみが出来るし土にかえれば次の生命の肥やしにもなります。同じ様に人間の生は決して無駄にはなっていないと思います。つまらない事は気にせずに、くよくよしたり そんなことは切り捨て御免で、大らかに楽しく、もしかしたら遺物となるかもしれない最後の人間らしい「人間の持つ良い処」には、最大限に拘わって精一杯毎日を過ごしていく事を当面の目標として下さい。若者が訴える身体の不調や投げやりな会話や態度には、人間が考えた「コンピューターによる生活空間のゆがみ」から生じる深い悲しみや不安が「心の働き」を止めてしまい健康に迄、影響している事を表しています。大人達もきっと自分自身の事で迷ったり不安に思ったりしているのでしょう。各地で行われているイベント花ざかりは落ちつきのない日々を過ごす事で気を紛らわせている様に見えます。稀に夢を持った人に出会う事が出来たとしたら、それは古代から人類が引き継いできた「暮しへの憧れや夢」をDNAの中に維持する事の出来た目に見えない強さだと思います。

若い人の教育に当たるものは、この強さを先天的に備えた人が「残り少ない自然の情景や現象や摂理(きまり)」の中から「人間本来の感性を心に取り戻すヒント」を何か探し出して伝えていかなければと思います。それは「心を自然の波長に合わせる」ことですが感性を完全に取り戻す事は現代の状況の中では、とても難しく間に合うかどうか判りませんが「人間の古い歴史の中から何かヒントが得られるかも知れません」。
☆中国には「木、火、土、金、水」の思想があって、それは木を燃やせば火となり、燃やした木は土となり、☆ 土の中から金が生まれ、金はとけて水になり、水は水蒸気になって雨となり、雨は木を育てているという事で、これを「自然の摂理」というのでしょう。私達は今三つの世界に生きていて第一は自然界であり、第二は人間の世界でお互い地球上で競争しながら共同体を作って生きています。人類は地球上の自然の営みの中で資源を開発し物を作り出し、又作り出した物を奪い合う事の繰り返しの様に思います。
自然の世界、人間の世界の他に、第三の世界は情報の世界です。
二十一世紀に向かって工業界、産業界では物の製造の画期的な発展に加えて、人間の身体ですら変えようとし、現実に試験管ベイビーやクローン動物を作り出しています。

「資源が生み出す物」と「人」と「情報」この三つの世界が、私達の生きている世界であり、これ等の発展のスピードから我々人類は最早逃げ出す事が出来ません。この三つの世界は21世紀に果してどの様な新しい文化を構成するのでしょう。異なる文化はお互い物についても、人間についても、情報についても、それぞれ戦いを続けています。時代の流れは 地球上のみならず宇宙へと移行し、誰が宇宙を掌握するかと
いう支配権を巡り、どこかしこで攻撃や被害・損害を延々くり返しています。武力戦争に対し経済戦争もあり、このままでは地球はどんどん破壊され人類に貧困や飢餓が蔓延り破滅に導きます。人類全体に与える大きなマイナスは新しい世界のプラス面以上に希望の全てを消してしまいます。現代人は恐れというものを知らず全て自分の欲望が叶わないと気が済まない様にも思います。宇宙を支配する目に見えない大いなる自然の摂理が地球上を支配しています。
地震や大雪や暴風や竜巻や火山の噴火に人間が勝てますか?何をもってしても勝てません。人間の知恵ではどうしようもない事を知った上で科学や文化の発展を考えるべきでしょう。世界と対等のお付き合いが出来るものには、武力や経済や科学ではなく文化しかありません。世界にはそれぞれの国が誇る文化があります。

テレビで「世界文化遺産」という番組がありますが、都市や城や寺や風景など形のあるものは天災や戦争で失う事があります。しかし人の心を伝える文学や習慣やロマンは失われません。最近は古代ロマンへの郷愁ともいうべきか、先人遺跡などの発掘ブームに昔の人の素朴な生き方を探っているのかも知れません。これらの事を頭に入れておいて21世紀のデザインは、果たして飛躍的な科学に便乗する方向性をとって行くだけでよいのだろうかという疑問を決して忘れず、仕事にかかる準備をしていきましょう。この事を意識していないと、何もかもが水の泡になるからです。今日ここにお集りの何かを始めようと思いついた皆さん、又何をしていいかわからないと迷っている皆さんのお年頃、感受性の強い、初々しい心の時こそ、無造作に時間を過ごさず出来るだけ多くの事を考えておくと良いでしょう。当校の「若い時がどれだけ大切か!」というキャッチフレーズは、この事を皆さんに気付いて欲しいからです。毎日の生活の一つ一つ「考える」ことの蓄積が、皆さんの人生に大きな影響を与え、本当の出発点が見つかります。急転換の科学の人間攻勢に対抗しようとすると逆に人間の素朴な知恵の方が勝つ場合があり、その知恵が一人一人の命を救う事もあります。人間の身体の中で考える機能を受け持つ脳には松果体がありこれは心と体の接属点で心と体は別々であることがわかります。

☆哲学者デカルトの「我思う故に我あり」とは考える事によってのみ自分の存在があると云っています。
実際の生活上では どうしても「身体と心」を切りはなすことは出来ないので、「身体が不調だと脳の働きが鈍り心や気持ちも消極的」になってしまいます。☆人間の脳には神経細胞が一千億あり、全ての情報は脳に集まっていて、その指令は首を通って全身に伝えられています。身体の中で重要な役割を持つ「首の部分」を保護する事は脳に暖かい血液を送ると共に着ている物の中の温度を保つことが出来、ひいては正しい姿勢を保ったり免疫力の低下を防いだり、医学的効果を示しています。正しい姿勢というのは「生理的湾曲がとられている状態」の事で、真っ直ぐ立って爪先にやや力が掛かっているのが理想的で前屈みになりがちな人にとっては首に何かを巻く事で姿勢を正しく維持出来ます。

日本でも地方の風習が生み出した伝統的衣類があって、とてもユニークな物もあり、もっと広範囲に伝えられたら良いなと思うものは数々あります。こう云う事の伝達にこそ情報は活用すべきだと思います。例えば千葉の房総半島では「ドカン」と呼ばれる防寒具があり海辺で働く人々は「ドカン」をかぶって浜や沖で仕事に励みます。この姿は有名な画家の油絵で見た事があるように思います。誰の目から見てもとても人間らしい暖かさや活動的な生命力を感じさせる風景だったに違いありません。ある時は帽子に時には手ぬぐい代りに、又は端をしばって袋にと素晴らしい機能性があります。形や色彩や模様やデザインを工夫すると、更に広範囲に楽しい用い方が出来ると思います。長寿日本一の沖縄では、その秘訣は食べ物だと云われていますが、着るものも天然の素材を用い気候や肌に対しても自然の気配りがされている事です。色彩に関して云うと明る目のものが若く見えるのは錯覚もありますが美しい錯覚は自信につながり寿命にも関係してきます。

☆自分に似合う服装を選ぶ人は、コレステロール値が低いという医学的効力が認められています。服装はその人に似合うという事が大前提ですから、似合わないものを着るのは周りに違和感や不快感を与え、ストレスの原因の一つとなります。
「襟巻の紅きを したり美少年」という明治の大作家、尾崎紅葉の俳句がありますが、赤の襟巻に一層美少年の顔が引き立ち 印象に残ったという事だと思います。
☆色彩は、脳の奥に位置する視床下部に働きかけて皆さんの自律神をコントロールしています。
脳の働きが悪くなると、意欲がなくなり、心が落ちこみやすくなります。色彩が、その人の性格にあっていないと心が乱れ、不安定になるのはそのためです。このように色彩や形や意匠だけでなく医学面に関してまで広範囲にわたって考えられてこそ良いデザインが出来上がります。

デザインを学ぼうとする時、皆さんは、それぞれの気持ちの中で覚悟をしたり「予備知識」によって、大体の輪郭は理解しているでしょうが、当校では、作品のみならず学生の人格の向上も目指しています。
なごやかな雰囲気の中にも「一本筋の通ったけじめ」を胸に秘めて勉強に望んで下されば、教える側は一層張り合いがあるというものでしょう。
専門的な技術や仕組みについては、これから各科の授業の中でだんだん身についていきます。「デザイン」という言葉は、ラテン語のデ・シグナーレ(designare)が語源として伝えられています。
その意味は「計画によって表現する」という事ですが造形、意匠、計画の全ての面に使われています。

先程、お話したようにデザインは、人間生活の、どの部分にも関わっていますから、良いデザインは誰が見ても親しみやすく、暖かい感じで、「機能」と「美」が必ず、兼ね備えられている事が条件です。デザインは表現する「技術」によって評価されるよりも、「表現されたものの結果」に依って、制作者の「思想のレベルの高さ」を評価されます。デザインという言葉は最初「デザインとは何かと云う「哲学的な問いかけ」が出発点でしたが、現代の社会では、「消費されているもの」として「社会と芸術との係わり」や「工業、手工業の問題」には矛盾を追求される事もなく扱われています。そのデザインが、自分のアイデアが」表現出来れば結果を考えずどんな手段でも利用しようという風潮になっている事は一般の人にとってとても迷惑であり、不便なことだと思います。

「デザイン」が言葉として日本で注目されたのは、「口紅から機関車まで」の著者でアメリカのレイモンド・ローイというデザイナーがタバコの「ピース」のパッケージをデザインして、その頃では考えもつかない「百萬円」というデザイン料が支払われたという事でした。それ以来「創造する事の価値の高さ」が、突然クローズアップされたのを覚えています。それからと云うもの、デザインの世界は ミクロの世界から「コンピューターの部品」「ロボット」「宇宙ステーション」と、どんどんその範囲が拡がっていきました。近代科学と結び付いた石油素材による日常品は、人命にかかわるダイオキシン公害問題を引き起こし、人類に恐るべき恐怖と不安を与えているのを、現実に体験されているでしょう。この問題を真剣に考えると、19世紀、産業革命に反逆した自然主義の工芸デザイナー、ウィリアム・モリスの事を思い出します。「ウィリアム・モリス」は 1834年にイギリスで生まれ天性の詩人として、「生活の芸術化」を夢見ていた自然の工芸家としても有名です。モリスの62年の生涯は、19世紀末に、イギリスに起った産業革命で機械による大量生産と職人を大切に扱わなくなった時代に反逆する思想で貫かれました。☆建築や、それに付随する家具や壁紙、ステンドグラス、織物や書籍まで手仕事で仕上げました。織物や繊維にも天然素材や天然染料を使い徹底した自然主義を貫いたのです。

彼が100年前にイギリスのテームズ川を背景に繰り広げた活動の一つ一つを研究してみるのも、今後デザインを学ぶ上で大いに参考になります。
☆ウィリアム・モリスの計画した「手の復権」は国境を越えて世界中の
人々に受け入れられて行きました。モリスは真の芸術は「人間が表現すること」を「人間自身が手で表現することだ」と生涯を通じて主張したかったのだと思います。
ウィリアム・モリスの様に、人間の社会に対して「深い愛情と判断」をもって、デザイン活動をするためには、広い観点で物を見ることが大切です。デザインの基本は、あくまでも「自然の心からの発想」によるもので皆さんが自然体であれば、よいデザインが出来る事は、「作品は人なり」という言葉に裏付けられています。
そして作品を制作する人自身も味わいのある良い表情になっていきます。欧米の芸術家の何とも言えない奥行きのある表情は顔立ちではなく、日常の考え方の表れでしょう。現在も、モリスが創設した古建築物保護協会は、自然環境の保護や、古い教会などの歴史的建造物の修復に貢献しています。日本に於いても「文化の中のデザインの存在価値」や、「デザインのもつ社会性」を人間の日常的な生活の面から、取り上げ方を考え直して行くべきだと思います。この学校では皆さんの「広い視野」と「考えるゆとり」を育てる為に目立たないけれど実際、効果的に皆さんの能力をすくすくと伸ばす「畑の役割」をしようとしています。
見事に人生の花を咲かせたいという強い意志を心の底に秘めて、例え皆さんの日常生活にどんな事があっても明るく耐えて 最後には人の心を打つ仕事をしたり 作品を作ったりして下さい。
今日の入学に際して皆さんに贈る言葉と致します。

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