才能があるとか、やりたい事があるとかではなく、仮に何か夢があったとしても、漠然としていて、何をしていいかわからない、それでも「何かに夢中になりたい」という気持ちだけ持って、入学したのが二十歳でした。デザインの勉強偉大の社会生活の中にこそ学ぶことがたくさんあると思っていた私には、見事に整った環境がそこにありました。けれど、勉強中の身には、楽しさを実感している余裕などありません。
ある人に「学校での生活は楽しいですか」と尋ねられた時、即答できず「楽しいというよりも、目の前にある仕事をこなすだけで精一杯という感じです」と答えたことを思い出します。ただ、充実感だけは常に持っていました。身に余る仕事の内容だけに、これ程まで心身共に忙しい思いをしたことはありませんでした。その分、自分の力の無さを思い知らされました。
その中で、私なりに学んだ事は、数えきれない程たくさんあります。身に付いたかどうかは別としても、はっきりと言えることは何か事あるごとに、スクールでの経験を思い出すということです。例えば、友人が仕事や人間関係で行き詰まっている時、「私の場合はこんな風だった。」と思い出すことは全てスクールでの出来事ばかりです。そして、気の利いた言葉を持ち合わせていない時には、「先生だったら多分こうおっしゃるだろう。」と思い浮かべたりするのです。また、元気のいい朝の挨拶はこんなにも人を明るくさせるものだったのかと、新たに理解するのです。
さらに、もし私が何気なく人に親切にして、喜んでもらえることがあったなら、それは、スクールでの生活を経験したおかげだなあと思うわけです。当たり前ではあるけれど、相手の気持ちを考えた対応や、日常生活に見られる人生観や一流のセンスを毎日、目の前で拝見し続けることが出来たからです。素晴らしい人との出会いこそ、何より楽しい事でした。
学ぶ点が多すぎて、身に付いていない部分が大半ですが、幸運なことに、私の中にはたくさんの引き出しがあり、それらは、見ているだけでも無意識のうちに、スルッと入っている様な気がするのです。これからも、生活の新しい場面で、その都度すぐに取り出せて、ことわざや教訓に様に生きるヒントとなって役に立つことでしょう。そんな宝箱の様な引き出しを持っている事が私の一番の強みです。
空っぽの引き出しに宝物を次から次へと与えて下さったスクールに感謝致します。二十歳の頃どんな思いでいたのか、今もう一度考えています。次の若い世代の役に立つ日のためにも大事に宝箱の引き出しを使いこなしていきたいと思います。
グラフィックデザインコース 渡辺和代