先に述べたように、袿の枚数は、寒い季節には多く暑い季節には少なく重ねるのだが、平安末期になると五枚重ねが標準となり、これを五衣(いつぎぬ)と呼んだ。 源雅亮が表した我が国最古の装束書である『雅亮装束抄』に五衣の色目について次のような記述がある。
《匂い》は、上着から下に次第に色を薄くしてゆくものを言い、匂いの最後の一枚である単(ひとえ)が白になるものを〈薄様(うすよう)〉というのである。
また、襲ねには、季節によって着用の決まりがあり、自由に着る訳にはいかなかった。
たとえば、[山吹の匂]は、1月から3月にかけて着用するものであった。(襲ねは、重ねとも書く。)
「萩のあお、紫苑の織物の指貫(さしぬき)着て、太刀はきて、しりに立ちてあゆみ出づるを、それも織物の青にび色の指貫衣きて−−−」。
これは、更級日記の一節だが、〈萩のあお〉は、萩襲(はぎがさね)の狩衣(かりぎぬ)のことである。色目は、表が蘇芳で裏が青となっていて、 秋の季節に着用する決まりとなっていた。
《狩衣》は、平安時代以後の装束の一種で、鷹狩の時に着用したのでこの名がある。
鎌倉時代になると、武士の礼装に用いられるようになり、後に一般化した。テレビドラマ『太平記』で、足利高氏(尊氏)たちがこの狩衣を着用している。
《紫苑の織物》は、縦糸が青、横糸が薄紫の織物のこと。《指貫(さしぬき)》は、裾を紐でくくる袴のことである。《青にび色》は、青鈍(あおにび)のことで、 表も裏も藍で濃く染めた、暗く鈍いグレイッシュな色調をしており、初老の人の着物の色とされていた。後に、凶時に着用する衣服の色となるのである。
《合せの色目》も男女の装束に用いられたもので、表布の色と、裏地の色の配合によって、季節感を表し配色を楽しんだのである。
《襲ね》が女房装束として、何枚かの袿の色の多色配色であるのに対し、《合せ》の方は、表と裏の2色配色であっさりしている。
中には、例外として表と裏の間もう一枚布を挾んだものがある。この布を中倍(なかべ)と言う。
松重(まつかさね) |
濃蘇枋すおう(1枚)、薄蘇枋(1枚)、萌黄匂(3枚)、>単は紅 |
紅の薄様(べにのうすよう) |
紅匂(3枚)、白(2枚)、単は白。 |
山吹の匂(やまぶきのにおい) |
濃山吹(1枚)、下へ黄まで匂(4枚)、単は青。 |
菖蒲(あやめ) |
濃青、薄青、白、濃青、薄青、単は白。 |